アイドルにハマらない人ほど日向坂にはハマる理由。

「いや、日向坂はいわゆるアイドルじゃないのよ。」
と説明している「おひさま」、結構な数いる説。

「日向坂46」

コンビニ、本屋、アパレルショップ...いたるところで見かける彼女たちは、
もちろん容姿端麗で歌も踊りもすごい。

だけど、
弱小校の高校球児を応援するような、
恵まれない漫画の主人公を応援するような、

そんな気持ちにさせてくれる集団が、
日向坂46なのだ。

なぜだろうか。

考えてみた。

「できない」ではなく「やりたい」を売りにするアイドル

まず、彼女たちが出演するバラエティ番組「日向坂であいましょう」を見るときに 感じるのは、

彼女たちの売りは「かよわい」姿ではないということだ。

いわゆるドルバラ(アイドルバラエティ)では、

  • 無茶振りをされて、慌てる
  • 気持ち悪いものをみて、怖がる
  • 運動音痴を露出させて、照れる

みたいな、「できない」かわいさを売りにしていることが多い。

しかし日向坂では、
「できない」ことがあっても、
「やりたいです!」のような積極的なシーンが多い。

フリップ大喜利での加藤史帆はどんどん手を上げていい回答をするし、
振り切るボケを繰り出す佐々木久美がいるかと思えば、
潮紗理菜はエピソードトークにガンガンチャレンジしてくる。

ガヤで場を盛り上げる富田鈴花は、
番組内で春日からのフリが少なくて涙を流した。
(おそらくそんなアイドルは彼女しかいない)

「キラキラ」だけじゃなく「ドロドロ」が似合うアイドル

アイドルといえば、「光」という言葉がよく似合う。

クラスにいたら、高嶺の花。
一般市民とは生まれた星が違う、と言いたくなるような気質のカリスマたちが、
「アイドル」なのでは、と思われることがよくある。

しかし、彼女たちの船出は困難の連続であった。

有名な欅坂との合同握手会での「滑走路」では、
誰も並ばないレーンで、彼女たちは精いっぱい声を出していた。

人気も、存在意義も、よくわからなくなっていたような時代もあった。
売れるのか、グループとして存続できるのか。
不安しかない闇の中でもがき続けていた。

それでも、諦める者は一人もいなかった。

徐々に努力がみのり、実力が認められた。

しかし下積み時代のことを忘れることなく、
いつでも礼儀正しく、謙虚に、誰にでも優しく、絆を発揮する彼女たちは、
本当にすごい。

日向坂となり、キラキラ輝く舞台が増えていく中でも、
ドロドロになっていた努力が見えるのは、
彼女たちだからこそだせる色なのではないだろうか。

「個性派集団」なのに「全員野球」をするアイドル

ここ十数年のアイドルは、常に競争が求められてきた。

総選挙、選抜制度、センター。

まさに「頂点に立つ者は常にひとり」という言葉がしっくりくる。

勝者は歓喜の涙を流し、敗者は光を浴びずに去っていく。

有名になるために、ファンを増やすためには、
グループの序列を上げていかなかれば、というプレッシャーがあり、

ファンもそれを応援するために、資産を費やしてきた。

日向坂は、4枚目のシングルまで小坂菜緒がセンターを務めてきた。

だが、ドレミソラシドやソンナコトナイヨのPVを見るとき、
スポットライトがあたっているのは彼女だけではないことに気づく。

さらにバラエティ番組を見渡すと、

ゲームが得意な丹生明里
ラジオ番組なら加藤史帆
コスメが人気な高本彩花
キン肉マンなら松田好花、
バスケは任せろ渡邉美穂...

と、それぞれが強力なコンテンツを武器に、
一線で活躍している。

しかしこれだけのメンバーがいてもなお、
彼女たちは競争ではなく、
みんなで一つの作品をつくることを楽しんでいる。

「コンビ芸人不仲説」が言われる中でオードリーが仲良しなように、
「裏では仲が悪いのでは?」と言われがちなアイドルグループの中でも、

「この子たちなら間違いなく仲良しだ」
と思えるのが日向坂である。

応援すればするだけ、元気をもらえる。
それが日向坂46だ。